詩の朗読再生
No.108 (1991年、54歳)
教授になった女を支える男
(セメント彫刻、217.0×34.0㎝、奥行16.0㎝)
1991(平成3)年4月、50歳の妻は、川崎医療福祉大学感覚矯正学科言語聴覚専攻コース教授になった。
日本で初めて、4年制大学で言語聴覚士を養成する学科だ。
僕は、学位取得に、5年間、東北大学へ通った妻に、精神的に反発し、協力をしなかった。
その頃の僕は、深夜に帰宅する妻を、一度も、起きて待たなかった。
「勝手にしやがれ。僕は僕で忙しいのだ。命をけずって生きている。君の我儘に、付き合う程、暇ではない」。
僕は、本気でそんなことを考えていたが、49歳で父を亡くした時に、このことを深く後悔した。
54歳になった僕は、どんな時にも妻を支え、協力しようと考えている。
50歳の妻は、朝7時に出勤し、真夜中の12時過ぎに帰宅する。
この生活は、大学設立準備に追われた2年前から始まっている。
僕は、妻の帰宅を、必ず、起きて待つようになった。
どんなに遅くても、二人で夕食を食べる。
「お願いですから先に寝て下さい。こんな生活をしていたら、共倒れするだけです」と、妻は懇願する。
「何を言うのだ。僕の方が、体が頑健だ。女の君にできることを、男の僕が何故、出来ない。今度こそ、君を守り、支えてやるよ」。
僕は、今度こそ、懸命に妻を支える覚悟だ。