森 尚 彫刻公園へようこそ、お越し下さいました。
ご訪問いただいた皆様へ、彫刻公園の成り立ちを、妻の立場から、簡単にご紹介したいと考えます。
今から20年前の1998年3月30日、森 尚は、脳梗塞で、4ヵ月と6日の入院後、亡くなりました。
それは、明日で定年退職をする日の前日で、現役教師としての非業の死でした。
自分が死ぬと思っていなかった彼は、勤務先の学園が所有する土地へ500個弱の彫刻を残して死にました。
個人の彫刻を、勤務先の土地へ退職後も置かせていただけるわけはなく、森 尚が亡くなったその日から、残された妻と長男の闘いが始まりました。
そして、20年と言う、長い 長い年月をかけて、やっと、ご覧いただいた彫刻公園を完成しました。
20年間の闘いの詳細は、2018年3月30日に出版しました森 尚 生誕80周年記念彫刻写真集「煉獄」に書いております。
興味のある方は、是非「煉獄」を読んで下さい。
森 尚の人生と彫刻公園の成り立ちが解るはずです。
「煉獄の写真集」は、インターネットで購入出来ます。
森 尚 彫刻公園のメインテーマは、たった一つ。
自分を曲げずに、ひたすら真面目に生きた森 尚と言う人間がいたこと、その人生を、彫刻を通して、伝えることです。
彼は、20歳から60歳まで、40年間、自分の内面の苦悩を、正直に、彫刻として表現し、芸術として昇華する努力をしました。
34年間は、就実高校の教師でした。
彫刻公園は、森 尚の人生とその魂の苦悩の結晶です。
彼の彫刻からは、その時時の呻き声が聞こえます。
特に、私は、20年前の通夜の夜の出来事を、死ぬまで忘れまいと思っています。
森 尚は、女子校の教師でしたから、卑俗な偏見で見られ、「女にだらしがない教師」と陰口をたたかれ、妻である私は苦しみました。
しかし、「この先生に、命を助けられた。森 先生がいなかったら、我々親子は死んでいた」と、夫の亡骸に、しがみついて泣き叫んでおられた卒業生の父の姿が、20年経った今も脳裏から、離れません。
その方だけでなく、10人余の卒業生の皆さんが、同様に泣き叫んで、夫の死を悲しんで下さいました。
森 尚が、教師として、どのような人生を送ったのかを知る為には、十分過ぎる通夜の夜の出来事でした。
それは、私の宝でした。
私が死んでも、あのように泣き叫けんで その死を悲しんで下さる人はいないでしょう。
森 尚の彫刻を見る時に、頭の片隅に置いていて欲しいエピソードです。
平成も終わろうとしています。
新しい年号の元でも、沢山の方が、森 尚の彫刻を見て下さり、「ここへ来れば、何故か、ほっとする。
生きて行く、勇気を与えられる」と、一人でも、言って下されば、嬉しいです。